そもそも私「登富屋」は、
性格は内向的
内向的で人見知りでした。小学校でも、昼休みに一人で過ごすことが、多くあったように記憶しています。人付き合いも苦手なので、特に仲が良い友達以外と一緒に遊ぶことは、苦痛でした。
家族と一緒に過ごす時間は気が休まるものの、家に親戚がくると、居心地が悪くなってしまい、外に出たくなりました。まったく愛想がなかったと思います。
自然は好き
私の育った家は、中国地方の海沿いの港町でした。すぐそこに海があるので、夏になれば、よく泳ぎに行っていました。泳ぎが得意なわけではないですが、海で泳ぎ、海の中を眺めていると、日頃の嫌なことが忘れられました。寒い時期には、海を眺めに散歩に行くこともありました。
子供のくせに、自然の中で心が癒される感覚がありました。
同じ価値観を強制されるのはイヤ
田舎の自然環境は好きでしたが、周りにいる人間が限られているという環境があまり好きではありませんでした。
人見知りのはずなのに、当時は、なぜそう感じるのか、はっきりと分かりませんでした。
今思うと、田舎で暮らしていると、価値観が自分と違うと感じた時に、自分の価値観を共有する人が周りにはいない状況になりやすかった気がします。今ならば、インターネットを通じて、色々な人と交流することも可能ですが、当時は、そんな手段は見当たりませんでした。
変な例えかもしれませんが、みんながプロ野球好きだという前提で、会話が進んだりします。でも私は、プロ野球には全く関心がありません。話を合わせるために、プロ野球を見たこともありましたが、面白く感じることができませんでした。
価値観を均一化するような雰囲気を感じていたような気がします。それで居心地が悪かったんだと思います。
声の大きい同級生と一緒にいることも好きではありませんでした。価値観を強制される感じがするからです。気の弱い私は、その価値観に合わせようと無理をしてしまうか、そっとその場を離れていたような気がします。
小さい頃は劣等生
小学校低学年の頃は、勉強はダメ、運動もできない、ハキハキしていない、何一つ取り柄がない子供でした。ずいぶん後になって聞きましたが、親は「この子に勉強は無理だな」と諦めていたらしいです。
それは、自分でも自覚していて、何かと覚えさせようとする学校の勉強が苦痛でした。漢字もほとんど覚えられませんでした。カタカナも全部覚えていませんでした。正直に言うと、今でも漢字があまり書けません。
一方、学年が上がると、算数や数学が得意になりました。難しい問題を考えることを、楽しいとさえ感じました。
高校・大学と進学する過程では、暗記の勉強から逃げるために、理系の学部に入学しました。
生活の場所を変えながら進学
中学校を卒業すると、寮のある理系学校に進学しました。
田舎の自然は好きだけど、固定化された価値観から逃げたい気持ちもあったので、地元から離れることには、まったく抵抗はありませんでした。というより離れたいという感覚がありました。
その後、大学に進学するときも、さらに地元から離れ、行ったこともない九州にある大学に行くことにしました。さらに、就職するときも、行ったこともない街の市役所に就職しました。
住む場所を変えることを楽しく感じました。
市役所に就職しておいてなんですが、そこに「定住」したいとは思いませんでした。
組織に所属して働く日々
なぜ公務員になったのか
私は、公務員になる前、九州の国立大学工学部に在籍していました。
大学で学んだのは、電気・電子工学、各種力学、プログラミング等が中心でした。単位はきちんととっていたものの、学年が進むと、自分の幅が狭くなっていく感じが嫌になり、卒業する頃には、このまま、この専門で仕事をしていくことが楽しいとは思えなくなり、就職を先延ばしするような感覚で大学院に進学しました。
大学院への進学理由が、いい加減だったので、当然、勉強に身が入ることはなかったのですが、卒業はしました。
今思えば、時間を無駄にしたとすら感じてしまいます。
一方で、大学時代の私生活は、バイトざんまいでした。
アパートに住んで、親から家賃相当分の仕送りをしてもらい、どうにか住むところはあったものの、食費や光熱水費などをバイトと奨学金でまかないました。
結果、卒業と同時に、数百万円の借金(奨学金)がありました。
大学時代、家賃滞納も常習的で、自転車操業の生活をしたこともあり、「安定志向」を強く意識するようになり、公務員という仕事を選びました。
また、専門分野を極めるという意識がなくなっていたこともあり、幅広く仕事をしたいというのも、市役所という仕事を選んだ理由です。
幅広く楽しく仕事をしてきた
職員として採用され、仕事を始めてみると、予想どおり、仕事の分野が広いことに気付きました。
市役所に入って、約25年経ちますが、建設事業に関わることもあれば、申請受付のような仕事もありました。給与計算、入札契約、予算編成など、総務事務のような仕事をすることもありました。
市役所の採用試験には、「職種」というものがあり、私は技術専門職で試験を受け、採用されています。
専門職種で試験を受けておいてなんですが、私自身が専門に固執したくないという希望を持っていました。そのことが影響したかどうか分かりませんが、職種に関係のない仕事の方を多く経験することになりました。
市役所の中では、概ね5年毎に人事異動があります。異動するたびに、視点の違う仕事をさせてもらい、仕事自体は新鮮な感覚で携わってきました。新しい仕事をすることを楽しいと感じていました。
その仕事の中で、やり方を改善したり、コスト削減したり、思い切って何かを辞めたり捨てたりすることを楽しんでいました。ちょっと不便なことを見つけて、工夫することを楽しみながら仕事をしてきました。
仕事への関わり方に違和感
自分で仕事をしている感覚がない
公務員というのは、多少の差はあるものの、年功序列で役職が上がっていきます。私もその例にもれず、仕事への関わり方が変化してきました。数年前から、管理的な立場になりました。
実際に、自分の手を動かして、仕事をするという場面が少なくなったと明確に感じるようになりました。同時に、仕事の性質が、内部調整という面が強くなってきました。
仕事そのものに直接関与していない感覚を覚えるようになりました。
誰のために仕事をしているのか
市役所(もっと広く公務員でも同じだと思います。)というのは、「市民の役に立つ仕事をしている。」という大前提があるのですが、実際に目を向けているのは、市民全体ではなく、声の大きい市民、ということがよくあります。
声を上げない市民(一般的に、サイレントマジョリティーといわれます)の方のことは、想像はするが、どうしても声が大きい人の意見に引きずられてしまいます。
果たして誰のために仕事をしているのか。この仕事は、誰の役に立っているのだろう。
と、疑問を感じる場面が多くなってきました。
無理をしていると気づいた
仕事に合わせている自分に気づいた
立場が変化したこと、誰のために仕事をしているのか疑問を感じること、このような仕事への関わり方への違和感を感じながらも、収入を絶やすわけにはいかないので、組織の中の事情に合わせて、仕事をしてきました。
仕事を終わらせていくためには、自分以外の人がどう考えるかばかりに気持ちを向けるようになっていました。
トゲをなくして丸くして、どうやったら引っかからずに進むのか。組織の中の雰囲気に合わせて、仕事が無難に進むことばかり考えているのです。
そういう思考回路になっている自分に気づきました。
無理をしている自分に気づいた
大人なんだから、組織の中の調和を考えたら当然だろう、と言われそうな気もしますが、この組織内の調和というのが、なんとも居心地の悪いものだと感じるようになりました。
もともと、価値観を均一化されるような雰囲気が嫌いなのに、無理に組織の価値観に合わせようとしている。まるで、子供の頃のいじめっ子タイプの子の言うことに従っているような違和感も感じます。
「あ、なんか無理してる」
50歳に近くなって、やっと、こんなことに気づきました。
人の価値観に無理して合わせたくない。
そう思っていたはずなのに、お金の安定を気にするあまり、すっかり無理をしていました。
イヤなことのはずなのに、イヤだと思わなくなってしまっていました。
これは、自分が自分でなくなっているのと同じなんじゃないか。
でも、仕事を辞めるのは無理じゃないか
仕事を続けることに違和感を感じるものの、仕事を辞めれば、安定的な収入が途絶えることになり、これは、大きなハードルです。
市役所公務員で管理職なので、お金の不自由を感じない程度の収入があります。
これを手放すことには、かなりの抵抗を感じます。公務員というのは、金銭的安定感が抜群ですから。
仕事はお金を得るための手段であり、暮らしはお金で支えられていて、遊ぶことにもお金を使っている。そんな生活に慣れすぎてしまい、その生活から離れることができるのか。
組織に依存しない仕事をして、暮らしのお金への依存度を下げ、自然の中で遊ぶことで、遊びにお金を使わない。
そんな、自給自足的な生活を夢見るものの、現実生活をかえりみると、日々の生活費だけではなく、住宅ローン、子供の教育費など、将来のお金の不安が襲ってきて、「無理だよなー」という結論にしかなりませんでした。
「まあ、もうしばらくこのまま仕事を続けようか」という考えに落ち着いていました。
どうにかなりそう! いや、どうにかしたい!
日本で自給自足している人がいる。自分でもどうにかなりそう!
「とりあえず、もうしばらくこの仕事を続けよう」そんな思いを抱きながら、生活していました。
それでも、自給自足的生活を考えることは絶え間なくしていて、夏休みを長めにとって、空き家となっている実家で、テレビもなく、お湯も出ない環境に身をおいて、毎日、海で遊ぶという生活をしてみたり、自給自足的な生活に関する本を色々と読んだりしていました。
そんなある日、サラリーマンをセミリタイアして、自給自足生活をしている人がいる、という情報に行きつきました。そして、その人は、本も2冊出している。
すぐに2冊の本を読んで、無料ワークショップも受けさせてもらうまで、あっという間でした。
そして、その方が運営されている有料のオンラインスクールにも入会して、やり取りをさせてもらい、なんだか自分にも自給自足的な生活が出来そうな気がしてきました。
組織を離れないと後悔する。と確信
自給自足的な暮らしをして、お金への依存度を下げて暮らしていく、ということはできそうな気がしてきたものの、現実として、住宅ローンがあり、まだまだ子供の教育費が必要で、とても、公務員を辞める決断はできそうにありませんでした。
そんな時に、家庭環境に変化があり、できるだけ、家庭で過ごす時間を長くしたいと強く思うようになりました。今の職場は時間外に仕事をすることは少なく、割と自由に有休休暇もとれるのですが、公務員に人事異動はつきもので、来年、全く違う部署に異動して、激務になるということも十分に考えられます。
そうなれば、おそらく家庭のことは気にしつつも、仕事に忙殺される生活を送ることになる。
今、組織を離れないと、絶対に後悔する。と確信しました。
組織に依存した仕事を続けるか、考え抜く
お金の不安に向き合う
組織を離れたいという思いは確信になったものの、現実的なお金の不安は、払拭できていませんでした。不安を軽減して、行動に移すために、目を背けずに、お金の不安に向き合うことにしました。
日々の生活費、ローンの支払い、将来必要になる教育費、税金、年金、などなど、あらゆる項目を整理して、マネープランを作りました。最終的には、家を売ってお金にするパターンも考えながら、プランを作り、結果として、「公務員を辞めてもどうにかなる」と自分なりに目途が立ちました。
家族の理解を得る
お金の不安は、自分なりに目途が立ったものの、家族にも理解をもらう必要があります。
家庭にいる時間を増やしたいこと、徹底した節約が必要となること、マネープランで想定した内容、など話をすることで、「まあいいんじゃない」という結論になり、公務員という仕事を辞める気持ちが固まりました。
細かなとこまで考えたプランを作ったことで、納得しやすかったんじゃないかと思います。
これからの人生への期待
公務員を辞めることを決める過程で、私自身のこれからの生き方にも向き合いました。
年齢を考える。
私の年齢は、40歳台後半、50歳が目の前です。50歳といえば、定年退職までの時間が見えてきて、どのように仕事をフィニッシュするのか、そんなことを考える年代にもなります。
日本人の平均寿命は約80歳であり、あと30年はあります。定年退職は、60歳とか65歳です。
残りの人生の大半を、ただやり過ごすように仕事をし続けるというのは、不本意だと感じました。
お金のために、残りの人生の半分ぐらいを費やしてしまうのか。
こう考えると、さらに気持ちが固まりました。
せっかくの人生であれば、組織に依存した仕事しかしたことがない、というのでは、人生がもったいない。もっと、面白い生き方があるはずじゃないだろうか。
組織の中の人間関係ばかりを気にして生きていく時間を過ごしている暇はない、と感じました。
自分と家族、価値観の合う人との繋がりを大切に
仕事を辞めた後の就職先が決まっている訳ではなく、宝くじがあたった訳でもなく、遺産を相続した訳でもなく、ただ、暮らし方を変えたくなったから、今の仕事を辞める。
なんだか、いい加減な決断をしているようにも見えるかもしれません。そんなことで将来大丈夫なの?と言われそうな気もします。
でも、なぜか、仕事を辞めた後の生活が、今、楽しみでしょうがないです。
組織のため、地域のため、市民のため、とかではなく、自分のためと家族のために、時間を使いたいと思います。
また、自分が無理せず価値提供できるライフワークを仕事にして、価値観の会う人とのつながりを大事にしたいと思います。
今の仕事に疑問を感じている人はたくさんいる。
私が退職することを同じ職場の数人の方と話したところ、ほとんどの方から退職後の私の金銭事情を心配していただくと同時に、ご自身のこととして「自分も仕事を辞めたいと思っていたけど、踏ん切りがつかないなぁ」「辞めたいと思いながら、この年齢になってしまった」というお話も聞きました。
組織の中で働くことに、違和感を感じている人はきっと多いはずだと思います。
仕事に忙殺されて、自分のことや家族のことを気にしながらも、かえりみれていない人も多いと思います。
そういう方々に、自分の価値観と向き合い、残りの人生を考え、働き方や暮らし方を考えるキッカケづくりをしていくことができるのではないだろうとかと思っています。
最後に
私のプロフィールをここまで読んでいただき、ありがとうございます。
私は、無理をしない自分であり続けながら、家庭の状況を受け入れ、今後の人生を楽しんでいきたいと思っています。
同時に、今の仕事に疑問を感じている方とも価値観を共有していきたいと思っています。もし、今の仕事を続けていることに違和感を感じられているのであれば、無料メルマガの案内ページもご覧いただければ嬉しく思います。